毎年お年賀はいつ来るのかと実の親から催促。嫁いだら先方に合わせるようにと言ったのも母なのに・・・。

お正月がくる前に

町にクリスマスソングが流れはじめ、

書店の棚には新しいダイヤリーが並び、

来年はどんなカレンダーを飾ろうかと考え始めるころ、

毎年憂鬱な気分が私を覆う。

一本の電話がその原因、相手は私の母なのだけれど。

お正月はいつ来るのか問い合わせの電話なのだ。

私が結婚してから毎年の恒例行事、

お年賀に子や孫が集結してくれるのが幸せと信じてやまない母。

嫁いだ私からすると重荷でしかないこの一本の電話。

それぞれお正月の過ごし方が違い実家へのお年賀は後回しにしか出来ない事を

何度説明しても聞き入れてくれない。



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母の気持ちもわかるがここはゆずれない。

そんな私の気持ちを知ってか知らずかいつも烈火のごとく怒りだす。

「で、お正月はいつ来るのよ?」

「まだわからないから決まったら連絡するね。」

「どうせ来るならみんなが揃う元旦にしなさいよ。」

「それは無理だと思うけど。」

「何でよ?正月くらい合わせなさいよ。」

「はっきりしたら電話するから」

「まったくあんたはいっつも!」 ガチャ!

毎回電話は突然きられる。

落ち込む私をなぐさめるのが我家の家族の恒例になっていた。

母の役割

19歳親同士の決めた縁談で見も知らぬ土地へ嫁いできた母。

大家族の中の世間知らずの長男坊、これが父。

厳しい祖父母に小言を言われながら家族と若い衆のおさんどんに追われる毎日。

頼る人もいない孤独な生活であったろうことは容易に想像がつく。

正月や法事には親族が朝から晩までひっきりなしにやってくる本家。

父は座敷から動かず酒の相手に終始。

その上叔母たちが代わる代わる台所の母を呼び立てる。

多大な期待を押し付けられて黙々と家事に接待に徹して来た母。

料理は数知れず、20~30人は座っている座敷のテーブルには

料理が絶えることなく並んでいた。

子どもが生まれてもその役割は変わらず、

子守りは人に任せてひたすらもてなしに振り回されていた。

これが母のお正月。

母のいきざま

祖父母が他界し、うるさくやかましかった親戚連中の訪問も激減した。

本家という肩書も余り聞くことが少なくなった。

叔父・叔母たちも年老いて堅苦しい付き合いを嫌う世代が増え始めた頃、

兄弟たちが相次いで結婚し所帯を持って独立していった。

末っ子だった私も結婚が決まり嫁入り支度をしている時に母が私にこう告げた。

「結婚して家を出たらもううちの子どもではないのよ。嫁に行くとはそういう事。

その家の人間として認められるように石にかじりついてでも頑張りなさい。



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帰るところは無いと思いなさい。うちに来るときは他人様の家に来るのだと

きちんとした格好で来なさい。」と。

厳しい話しだったが有難い人生の先輩のアドバイスとして

何があっても護りぬこうと強く決意した事を思い出す。

婚家はのんびりした雰囲気の家でお正月も家の中で家族団らんで過ごす事が多く

義母のお雑煮をしっかり受け継いでくれれば他は特に気にしない家風だった。

三が日のうちに他家へ訪問するのは失礼だと実家へお年賀に行くのはそれ以降だった。

お正月用の料理も底をついたころ日中にお邪魔してお茶をご馳走になり新年の挨拶をする、

そして早々においとまする。これが家風。

嫁としてはこれ程気楽なことはなく私自身そのやり方にごもっともだと思っていた。

しかしこれが母の癇に障ったことは間違いない。

兄弟たちからの嫌味の電話がそれを物語っていた。

私はそれでも母の言いつけをあえて口にはしなかった。

それも含めての謹言だったと考えたからだ。

母の誤算

本家の嫁として精いっぱい生きてきた母は、

世代が変われば嫁さんの料理にもてなされ孫やひ孫の相手をしていればよいのだろう

と考えていたのだろう。

しかし悲しいことに現実は違い過ぎていた。

長男の嫁は明るい性格だが料理が苦手。

何年教えても合格点にはほど遠く結局相も変わらず全てを一人でこなす羽目に。

娘たちはそれぞれ長男に嫁ぎ実家に寄る機会が激減した。

寂しさと哀しみと後悔の念に気持ちを占領されイライラ続きの毎日が続いた。

年ごとにその口数も減り体力も衰え横になる日が増えていった。

寝ても起きてもだるさが抜けず何かをする気力も失せ、父にぶつける愚痴さえ減っていった。

ある日昼寝をしていたソファーから落ち大腿骨を骨折して入院。

見舞いも少なく思い通りにならない体にあきらめの気持ちが強くなりリハビリを拒否。

そこから坂を転げ落ちるように容態が悪化していった。

今母は自分で体を動かすこともできなくなり全てを人任せの状態。

あれほど何でもこなして来た母にとって最大の屈辱の日々なのだろう。

お年賀と親

私は母の言いつけを護りぬき婚家に認められ子ども二人も立派に成長した。

来年の春には長男が所帯を持つ。

長女も最近浮いた話がちらほらと。

すっかり世代交代が近づいてきたのだと思うことが増えた。

今年の暮れはもう母の文句の電話はかかって来ない。

喧嘩をしても、矛盾だらけのお小言でもそれはそれで母の想い出。

寂しかっただろうと申し訳なく思う。

不思議なえにしの母と末娘。

心配しないで。私は幸せだよ。ママ。



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